サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

生きるスピード

とある製薬会社のweb講演で某大学の教授とご一緒させていただいた。講演前の会話で私がこれまでやってきたことの話になり、「42歳でその仕事のペースは早死にするよ!」と言われる。確かに。それはよく言われることだが。

生物界でよく言われることに「心拍と寿命の関係」がある。生物は大体15億回心臓が打つと寿命を迎えるらしい。ただ、ヒトはその法則から大きく逸脱しているし、それぞれの生き方があってもよいと思う。私自身は慢性的なストレス環境下でノルアドレナリン値がおそらく高いので、心拍は常に90近くあり、計算上は30代前半で死んでいることになるが、まだ生きている。仕事が好きな人間はそれを思う存分楽しめる環境にいることがきっと幸せである。生産性の高いことを続けていって、世のためになっていると思えば、忙しくてもやりがいはあるし、私も今は与えられた時間を自由に使える立場にいるので、そうでなかった頃の自分からみればだいぶ幸せだと思う。

人の生死に関わる職業に就いていると「生きるスピード」というものをよく考える。癌の患者さんを相手にしていると、先の見えない不安、うまくいかない不安、死への不安。いろいろ不安があるものと思う。私はリスクの高い患者に高難度の手術をたくさん行ってきたし、それが同業の中でもaggressive surgeonと言われる所以ではあるが、自分が大切にしていることは、その人の「生きるスピード」に寄り添い、良かれと思うサポートをしていくことである。人生は誰しもいずれ終わりが来る。しかし、自分に与えられた人生の時間をどう使いたいか。それは誰にも強制されるものではないし、自分達それぞれのもの。医者という存在は、身体に生じたあるいは身体に起こるハンディキャップをサポートするための存在である。外科医にとってはその手段が手術であり、それが手術の目的である。患者さんの生き方に反する治療としての手術はあるべきではないし、逆に悔いの残らないように治療をしたいということならば、リスクが高くても全力でサポートする。それが外科医の仕事。

毎年12月が近くなると、移植で亡くなったある患者の旦那さんと2人で朝まで長く話したことを思い出す。肝移植は現在でも末期肝不全に対する究極の治療手段である。大学では長く肝移植に携わっていたが、術中も術後も戦いは続くし、合併症から最期は手に負えない状況で失った人も沢山いた。移植を受けた患者さんが亡くなっても、ドナーだった旦那さんは外来に通い続けるので、ある日飲みに行こうよと誘われた。

何件も店を回って、会話はお互いの仕事の話だったり、日常の話だったり。あえて悲しい話題は避けていたが、最後の店で、閉店後の鉄板を店主がきれいに掃除をするのを2人で黙って見つめながら、隣でぽつりと言われた。

「結果じゃなく、残された人生の時間をどう生きたいかという本人の気持ちを尊重して、先生が力を尽くしてくれたことで僕は満足。それを会って伝えたかった。」

当時医者になって半年あまりの研修医の自分にできることなど限られていたが、少し心が救われた気がした。がんに対する手術は患者さんにとって人生を変える可能性がある出来事であるし、そういう個々の人生を含めた外科医療の在り方を、いつか自分のポリシーで実践できればなと思ったことを思い出す。

今日の手術はかなり厳しかったが、ICUでは順調に行っている。
これから依頼原稿を2本書かねばならない。
早死はしたくないが、少し無理をしながらでも進み続けることが自分にとって丁度良い生きるスピード。

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