サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

運命を左右する判断

ソイラテの話を載せてからやたらスターバックスカードをもらうようになった。
精神安定剤を飲んで落ち着いて仕事をせよということだろう。

きついケースの術前は何度も術野を思い浮かべながらシミュレーションを行う。1-2週に1件はそういうケースがあるので、通勤の電車の中でも目を閉じてずっと考えている。医局の診療端末で最終的に3D画像を確認してから手術室へ向かうが、落ち着いてブリーフィングを行うためにはソイラテは欠かすことができない。臨床をやっていて最も気をもむことは、こういう厳しい症例の臨床判断を行うときだ。自分の判断がその人の運命を大きを変えてしまうからである。

例えば、高度肝機能障害の症例で切除限界を超えているが、手術できるかどうかで運命が大きく変わってしまうような人に手術をすべきか否か。腫瘍学的に見て多くの外科医が手術は無理と判断するような症例に対して技術的に完全切除できるものは本当に手術をしていいのか。心機能・呼吸機能など全身状態が悪すぎて全身麻酔や手術のリスクが極めて高い(=周術期死亡リスクが高い)と思われるケースに手術をしてもよいか、等々。こうした厳しいケースに関しては通常のカンファランスや術前コンサルトとは別に、キャンサーボードを個別に開催して検討をしたりするが、それでよいと言われたからといって、術後に患者さんが亡くなってしまったときの免罪符にはならない。手術に踏み切るかどうかの判断がまず第1のジレンマである。そこには根拠となる情報が少なく、道標がない。

過去の報告や経験に照らし合わせてできる限りの情報をかき集め、最も可能性が高いと思われる道を進む。結果を振り返り、自分たちがエビデンスを生み出しながら、前へ前へと進む。それが自分のライフワークの一つであり、講演で偉そうに語っている部分でもある。リスクを避けて簡単な症例ばかりやっていれば成績は当然良くなるし、大半はラパロでできる。しかし、人ができないというものに対して知恵をひねり出し、可能性があるならば引き受けているのが我々のチームの特色である。自分一人で手術できるのはせいぜい年間200人が限界なので、我々の経験をヒントによいと思える部分を各施設で取り入れてもらい、より多くの患者さんがそこで救われるように裾野を広げたいと思っている。だから自分の講演は人のデータを話さない。自分の試行錯誤から生み出されたエビデンスとメッセージがメインである。

術前に頭を悩ませて手術に行ったとしてもまだそこで終わりではない。高度進行癌を扱う場合の第2のジレンマは、術中の判断である。そもそも技術的に難度の高い手術が多い中で、予想以上に癌が進行していた場合、安全とのバランスをいかにとるかが常に問題となる。肝胆膵外科領域は機能を残さないと生きていけない臓器や血管を扱うため「技術的な失敗=死」である。大血管が巻き込まれている場合、癌の侵潤を受けている場合、剥がしてよいのか否か。0.1mmの違いが収集のつかない大惨事を招く場合も多々あるし、逆にそれを恐れて切り込むラインを手控えれば癌が残ってしまうので手術自体の意味がなくなってしまう。肝臓を予想以上にとらないといけない場合どうするか、血管を再建しないといけない場合どうするか、炎症や浮腫でぼろぼろの組織をどうやってうまく吻合するのか、そもそも手術のやりすぎは術後の長期入院を招いたり、回復を阻害したり、癌を広げてしまう結果となったり、周術期死亡の直接原因となるため、どこまでやってもよいのか、どこで手を引くのかという術中判断は患者さんの運命を決定づけてしまう。場合によっては癌をあえて残してくるケースも存在する。早期に回復できれば次につながるし、最終的なゴールはいかに元気な時間を延ばすのか、いかに予後を改善させるかであるから、治療がそれを損なってはいけない。

白い巨塔というドラマが昔流行った。ドラマで問題となる患者さんの死につながる経緯は現実の医療ではちょっと無理があると感じるが(画像から判断して術直後に致死的になるような癌の急激な進行が起こることはない)、一番の問題点は「俺は癌を切除しようと思っただけだ、何が悪い」という財前五郎の言動である。我々がやっていることは判断をあやまれば、あるいは超えてはいけない線を超えると人の命を奪ってしまいかねない手術である。肝胆膵外科医であれば術後の合併症で患者さんを失った経験のない人はいないだろう。予期せぬ経過で客観的に見ても医療に落ち度はないと言われても、何年たっても忘れられない。癌をとることや手術を完結することは一番の目的ではないのだ。一番の目的は元気に帰すことである。手術の短期成績や生存曲線ばかりみていてそれを忘れていないか? 転移性肝癌も原発性肝癌も最大限の生存延長を期待する戦術は自分の中では確立しているが、今度はQOLが維持できた期間を何らかの形で出していこうと思っている。

手術をどこまで頑張るのか、どこまでやってもよいのかの線引きは実際のところ明確なラインはない。術中も「辛い」「きつい」「厳しい」とぼやきながら手術しているが、技術的に不可能と判断するまでは手を止めることはない。しかし剥離操作の一つ一つに、まだ進むのか、ここでもう止まるのかを心の中ではずっと繰り返している。それは100%経験に左右される部分であり、なかなか言語化して伝えることができないのが難しい。どこまでやれるかはこれまでにどれだけ厳しい症例と対峙し、どれだけの修羅場を潜り抜けてきたかという経験値がものをいう部分であり、単純に外科医としての経験年数が長いことでは測れない。

術前の説明は、起こりうるリスクも含めた説明を行うが、最終的な結果は自分たちの技術、経験、判断に左右されてしまう。「大丈夫」とか、「安全」とか、使ってはいけないワードは存在するが、手術の成否を決めるのは術者の技術と経験そのものであって、肩書ではない。予想外の事態に直面した時にどうするのか、事態を解決する引き出しがいくつあるのか、それはランキング本には載っていないし、施設は選べても医者は選べない。誰に巡り合うかは正直なところ患者さん側の運である。

何度も頭の中でシミュレーションして勝ち目があると確信があり、何があっても最善の方法で事態を収拾するという覚悟がなければ高度進行癌に手を出すべきではないし、最後の砦などという言葉を使ってはいけない。手術は賭けではないし、我々も神様ではない。
自分も大丈夫だと思っていても、術翌日のビリルビンを見るまでは正直落ち着かない。

年末から今年にかけて、昔自分が大変な手術をして長く診てきた患者さんたちが何人か旅立っていった。
よかれと思うことができたのか、自分がしてきたことがその人の人生にプラスになったのか、人生の岐路に立った時に自分を頼ってきてくれた人たちが、納得のいく人生を送ることができたのか。自分の判断は運命を変えることができたのか。家族からの手紙に救われ、立ち止まらず進み続けようと自身を鼓舞する。

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