サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

同志

毎週新しいことを書くほどネタもありませんが、自分の患者さんの多くはここを見つけて読んでくれているようですので今日は患者さん向けに本音を少し書きます。
このサイトも来月で1年になりますが、宣伝をしていない割に毎月1000人近く来ているようですので、虎の門を離れない限りはしばらく続けるつもりです。最近はここを読んでセカンドオピニオンに来られる方が非常に多くいらっしゃいますが、私と面会する前の一助になれば幸いです。

私が外来で話すこと。病状説明や治療方針を話す時。
その内容には嘘も、気休めの言葉もありません。
一方で望みのない話をすることもあまりありません。
医者は神様じゃありませんが、未来を変えられる可能性はあります。
たとえ八方塞がりでも何かできることはないかをいつも考えています。
「自分が悩むからあなたは病人らしくする必要はない」とよく言います。

がんの予後を左右するのは、患者さん側の因子よりもむしろ医療者側の因子であり、その人を診ると決めた我々が責任を持ち悩むべき問題です。
何を食べたらよいか、どういう生活をすればよいか、どういう治療ができるか、自分にできることは、、、よく聞かれますが、プロフェッショナルは素人にできないことをするために存在します。私のところに来た以上、世界一の医療をしようと常に思っています。だから「真面目に病院に通うこと。それ以外は心配せずに普段通りで大丈夫」と言います。自分が人の人生に深く関わり、責任を持つというのはある意味覚悟のいることでもあり、重い言葉だと自分では思っています。しかし、外科医の多くはそういうものではないか。自分が誰よりも手術が上手いと思っていなければ、誰よりも勉強して最も適切な判断ができると思っていなければ、自分の患者さんに最善の医療など届けられないと思います。

我々の診断、臨床判断、どの治療を、どのタイミングで、誰が、どのような方法で行うか。特に進行癌においてはそうした判断の一つ一つが、大きな予後の差を生み出します。
世の中の評論家の多くは「生存期間」だけでものを言いますが、我々外科医が見ているものは単純に生きている時間ではなく、「普通の生活を送れる時間」です。論文の生存曲線ではなく、目の前の患者さんを診なくては臨床医としてはダメです。主治医は全責任を負うポジションであり、主治医が一番患者の病態や経過を理解していなくてはいけない。主治医自らが必要に応じて適切な臨床判断を下さなくてはいけない。私の臨床の強みはそこにあります。

10年近く外科系の主だった学会で医師向けの教育講演をさせて頂く機会を得てきましたが、特にこの5年は、「臨床判断」にこだわった話をしてきました。臨床判断は医師の経験(=art)に大きく依存する部分ですが、根拠となるデータを集め、過去のデータや確率論、統計学的手法を駆使していかにそれを分かりやすく言語化(=science)するか。それは極めて難しいテーマですが、自分の話にヒントを得て、諦めてはいけないポイントで諦めない先生方が一人でも増えて欲しい。それが世の中をよくすると信じてやってきました。

High volume center (=症例数の多い病院)にいる医師は、より多くの患者さんを診て、より多くの経験を積んでいる分、自身の経験を世の中に還元する責務があります。ただ決められたやり方で治療しているのではいけません。答えのない問題と常に向き合って、医療を形づくり、一方で教育も行なわないといけません。それが私の日常です。自分で直接1000人は見れないが、医者を1000人相手に講演すればより多くの人が救われるかもしれない。自分で手術ができる件数が年間せいぜい300件だとしても、自分の分身を10人育てれば、3000人が助かるかもしれない。そういう論理です。
今年に入ってから外部の仕事が多すぎてさすがに体力の限界に達していたのでこの土日は体調不良で寝ていました。しかし休んでいる暇はないので、米国の学会とのやり取り、中国国内の医師向けの講演の準備、全国講演会の準備、今晩からまたやります。

このサイトはもともと、世の中の誤った情報に患者さんたちが流されないよう、医療者側からの発信を目的にこっそり始めました。患者同士での紹介や私の名前で検索しない限りはなかなか辿り着きません(辿り着かない予定でした)。
臨床の宣伝を目的としたものではありませんので、はじめに悩ましいと思ったのは、どこまで実績をお伝えするかということでした。
「言葉の重み」というのは、その人のもつ背景に強く依存します。私は人は見た目で99%決まると思っていますが、それは単純に「外見」という意味ではなく、物腰、所作、物事の考え方、信条等々。さまざまな背景を含めた、第三者が見た時の「見え方」「感じ方」です。ただ、それは実物に接してみないとわかりません。
医者を探す時に人が頼るのは、ランキング、肩書き、名医、神の手、、、そういうワードです。数字以外に判断材料がないからです。どの施設も立派なホームページを持っていますが、個人の実績にアクセスする手段などありません。医師の為人も実際に会ってみないとわかりません。折角だからその辺が伝わればよいかなと思いました。ですので自身の手術執刀数、成績、臨床哲学はすべて出すことにしました。ブログももはやアクセス数的にこちらがメインサイトみたいになってしまっていますが、あまりキラキラワードを散りばめて宗教じみてしまわないよう、夜中に書く文章は、期間限定で消すことにしました。

医者には様々なスタイルがあり、どれが正しくどれが間違っているというわけではありませんし、優劣もつけられません。しかし、患者さんに寄り添い、治療の手助けをするのが我々の本来の役目です。命を預けられるのか、信頼できるのか、それは人間ですから合う合わないもあります。
予想以上に医療者の訪問が多いのはちょっと誤算でしたが、少なくとも自分の患者さんたち、自分と出会う患者さんたちに、一臨床医としてのポリシーを知っていただきたい。そういう想いでサイトを運営しています。

臨床で世界をリードし、学術で世界をリードする。そうした目標で常に走り続けることは、自分の名誉のためではなく、自分に出会う人々に幸運だったと思ってもらうためであり、自分の下で学び、哲学を継承していってくれる後進のためであります。世界のどこで、これを続けるのかはずっと前から悩み続けている問題ですが、お人好しだと言われようと、自分と志を同じくしてくれるスタッフと患者さんを裏切れないというのが、まだここでそれを続けている最も大きな理由です。

モバイルバージョンを終了