サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

The first take

そろそろ真面目に勉強しないとと思い16歳できっぱりとやめたが、私はかつて音楽をやっていた。
ステージに立つという経験は本当に小さい頃から繰り返してきて
「魅せる」とはどういうことかを幼いころから知っていた。

論理的に舌戦を展開するとか、フィジカルで勝負するとかいうのはむしろ苦手な方だったが(今はそういうイメージはないとは思うが)、音とか光とか、Artの部分では誰にも負けたくないと思っていたし、誰にも負けなかった。
医者になるとしても、外科を選んでいる時点でやはり自分は芸術家肌だと思っている。

高校生の頃にremixした音楽がいまだにYouTubeで聞けたり実はするのだが
昔から自分がこだわりをもって追究してきたことは「一発撮りの美」であった。
自分の声や手で生みされる作品は、二度と再現できないその瞬間の美をもっていて、それが伝えたいと思う人の心に響いてくれればいいと思っていた。

形は変わっても、そうした自分の根底を流れる部分は変わらない。
医師向けの教育講演や資材の動画の収録では、オンデマンドで何度も再生をされるので納得がいくように撮り直しはするが、手術や普段の講演は一発勝負だ。簡潔で、無駄がなく、ストレートに。でも自分にしかできないArtとメッセージ性をもって、人とは違うベストを追究する。

手術であれば「希望をつなぐ」ことが目的であり、講演は「伝える」ことが目的であるが、
これは一朝一夕にできるような簡単なことではない。
自分の手にゆだねられた責務を、一度限りの機会で乗り切るために必要なのものは、才能ではなく、そこまでにかけた時間と努力である。人の何十倍も長い長い時間をかけて、人とは違う「視座」を持てるようになった時、物事の本質が見えてくる。そこまでの過程の存在に気づくことができるかどうかが、その人の最高到達点を決める。

外科の教育において、Artの部分はまさに、見て、盗んで、覚えてもらうしかないのだが、
私の生き方まで真似する必要はないと言っている。
人生は一度きりなので、悔いの無いよう、妥協せずやりなさいといつも言っている。
周りに言わせると昔は自分自身を育てることに必死でもっと「俺か俺以外か」感が強かったそうだが、最近は視点がお父さんみたいになってきてしまった。まもなく43歳。

モバイルバージョンを終了