サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

As time goes by

子供ながらに思っていたこと。
私は父親の仕事の関係で、引っ越しの多い幼少期を過ごした。幼稚園は2つ、小学校は3つ、中学校は2つ。高校は結局秋田に居続けたが、本当は途中から仙台に移る予定であった。うちはサラリーマンと主婦のごくごく一般の家庭である。祖父母は両方とも農家。大学に受かったときは、「ただの百姓の孫」が東大に受かったと祖父母の近辺では話題になっていた。とても失礼な話だ 笑

新しい世界に放り込まれて、そこでうまく生きていく。
自分の立ち位置を見つけ、自分のあるべき範囲を知る。
社会で生きていくということは、その繰り返しだが、
同じ土地に3年も暮さないという生活は、正直子供心にあまりよいものではなかった。
早く大人になって自由に生きたいと思っていた。

自分の出身地は秋田と言いたいが、正直なところ謎である。
3年前後しか住まない土地に郷土愛など正直ない。自分の「郷土」とはどこか?
地に足がついていない感覚というのは昔からあったし、
自分が居なくなったその世界は次の日も当たり前のように回っている。
それを子供ながらに知っていた。

なぜ医者になったのかは患者さん達によく聞かれる質問だが、
自分は何か使命をもって生まれてきたわけでもないし、壮絶な体験をしたわけでもない。
人間後付けの理由などいくらでもつけられる。

自分が存在している意義が欲しかったというのはあるかもしれない。
世界の中の歯車の一つだとしても、誰かの為になることは生きる原動力にもなる。
我々には型にはまりたくない、大きな仕事がしたいという外向きのエネルギーがある一方、型にはまって安住したいという内向きのベクトルもある。安楽な方を選ばないのは、それが自分の子供のころからの宿命だと思っているからだ。多分。

色々な物事は「時間」が解決する。
とくに医療はそうである。

例えば術後の経過を見ている時は、早く時間が経って元気になってほしい、合併症が早く治癒してほしいという祈りがあり、時間が過ぎることを望んでいる。一方で、そうやって時間がいつの間にか流れてしまうと、予後のリミットにも近づくから、時間が止まってほしいという望みもある。自分の生業は医業であるから、時間軸の上にあるそうした「喜び」を誰よりも知っているし、「別れ」も知っている。

自分が大切にしてきたものは、時間をかけて人を診ることだ。医療のための医療ではなく、他人の人生という「時間軸」を大切にした医業が形作れないものか。医師20年目になる1年後に向けた事業として今それを考えている。デザインもまだ始めていないし構想も明かしていないが、他業種、多職種に色々と声をかけている。医療界は狭く閉鎖的であるが、その常識を変えて一緒に何か面白いことをやってみたい人を募集しています。




モバイルバージョンを終了