サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

「正解」とは何か

今日はアジア太平洋地域向けのweb講演。
来週からは通常営業で手術、会議、講演のシリーズ。
しばらく休んだしわ寄せを整理しつつ、仕事はいつものペースに戻ってきている。
隔離期間を経て肉体的にはまだしんどいはずだが、精神的にはむしろ復活してきている。
不思議なものだ。

本日、進行肝癌に対する論文が電子版でpublishとなった。
進行肝細胞癌に対するいわゆるコンバージョン手術やTACEをはじめとする追加治療が、切除不能と診断された進行肝細胞癌の患者でも予後延長に寄与する可能性をきちんとした形で示した世界初の論文だ(と思う)。
自分が1st authorとして書く論文は、誰にも邪魔されず、言いたいことが言えてとてもやりやすい。
何より後にストレスが残らないのがいい。
手術もそうだが、自分が疲労を感じる最大の原因はやはりストレスかな。
人を育てなくてはいけない以上、避けて通ることはできないが。

来週、徳島の学会で講演をさせて頂く機会を得た。
頂いたお題は「new normalをどう構築するか」ということだ。
自分の講演行脚の歴史を振り返ってみた時、そこには一貫して流れるポリシーがある。

よく言われることだが、私の講演には他人の出したデータがほとんど出てこない。
そこにきっと新鮮味があり、聞き手も同じ臨床医として納得のいく部分があるのだと思う。
私も外科医の端くれなので、人が数字だけ見て作ったエビデンスではなく、多くの経験に裏打ちされた自身の「勘」を最も大切にしている。一人ひとりの患者さんをきちんと診て、自分が正しいと考える臨床判断や感覚の妥当性を、多くのデータをもって証明し、それを新しいエビデンスとして世に送り出す。それが自分の信じる「正しい道」である。

医療に正解など存在しない。
この先の10年を考えた時。次の10年をどのような世の中にしたいのか。
自分や自分の教え子たちが書く論文はそこに大きなインパクトをもたらすものではなくてはならない。それが医療を創るということだ。その一端を担わせてもらっているということは非常にありがたいと思う。

何のために研究をするのか、論文を書くのか、
そこに疑問があるようではいけない。
それは自分達の仕事の一部であり、趣味でも義務でもない。責務である。
ArtとScienceは表裏一体であり、切っても切り離せない関係だ。

私のセカンドオピニオン外来には沢山の方がやってくる。
残念ながらいつも良い話ばかりできるわけではない。
むしろ他で無理だと言われてやってくる人の方が多いし、手術できるとしても分が悪いケースが多い。
しかし、その人の人生にとって良かれと思う答えはいつも持ち合わせていたいと思う。
「医学」としての正解はないけれども、「医療」としての選択肢はあるはずだ。
誰に対してもいつもそれを考えている。

我々の発言は、間接的であるにせよ、それぞれの患者さんの人生を左右する。
大きな責任を伴う。
「何とかしてあげたい」という願いだけではいけないのだ。
だから覚悟をもって、一つ一つの手術が、その人にとって必ず運命の鍵となるように
五感を研ぎ澄まし、戦局を理解し、今日もそれぞれの人生と向き合う。

運命とは、受け入れるものではなく、見極め、創造するもの。
いつも偉そうに言っているが、
それは患者さんに対してではなく、自分に対しての問いかけである。
正解は誰にも分らないけれども、正解を創造するために
常に考え、進み続ける。

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