サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

幸せの尺度(期間限定)

人生のとらえ方や、幸・不幸のとらえ方は人それぞれであるし、行動できる範囲やストレス、物事の理は、その土地や文化に大きく影響されるので、何が正しく、何が間違っているという考え方はできないが、日常を離れて心を休憩する時間を設けてみると、いろいろと哲学的な思考が湧いてくる。特に海外出張の時はそうだ。

今の時代、どこにいても同じような情報が手に入り、物も手に入るが、自分たちはちょうど過渡期に生きてきたので、東京→東北と育った自分は物事の「格差」というものを子供のころからなんとなく感じてきた。それは物があるかないか、情報があるかないかという物理的な違いというよりは、自分の心がワクワクするか、心が満たされるか、「大きな視野」で物事を考えられるかという精神的な側面の方であったと思う。要するに狭い檻に閉じ込められているのがたまらなく嫌だったということだ。

クリエイティブな仕事がしたいと思ったら外の世界を知っていること、自分のいる世界を外から眺めてみた経験があるかどうかということは大切である。一方で、自分が外を知っていても周りが井の中の蛙であると、何とも言えないフラストレーションが蓄積する原因にもなる。

日本の外科医の多くは、日本の外科手術は世界一だと思っている。確かにそれは一理あるが、部分的には正しいし、部分的には間違っている。外科手術の成績というのは手術だけで決まるものではなく、術後管理がどうか、そこに携わる人々が提供するケアの質がどうかにも大きく影響されるものだ。日本の医療業界がこれほど効率の悪いシステムであるにもかかわらず、世界的に見て医療の質が高いと言えるのは、人生の時間の大半を犠牲にして献身的に働く多くの医療者に支えられているからである。残念ながらこんな論理は海外では通用しないし、それが成長の足かせになっている。これまでに成し遂げてきた仕事の成果だけで言えばまだ日本の外科医は世界で一目置かれているが、それは近い将来そうでなくなるはずだ。もうすでにそうなり始めている。

今の日本には人もお金も時間もないので、これまでのやり方では確実にアジアの中のone of themになってしまう。世界の中での日本のプレセンスをどう維持していくか、自分は日本人であるからそれがしたいと思って海外に残ることを選ばなかった。教授選のオファーも36歳から何度もあったが、自分がやりたいことは教授という肩書があるだけできるものではなく、むしろそれを追い求めるようになったら自分が果たすべき役割が果たせなくなると思ってすべて固辞してきた。自分にとっての幸せとは、何をやり遂げるか。そちらの方が大きい。

夢や野望を達成するにはどこで何をするのかということは大切なことで、これは永遠のテーマである。私は所属施設のブランドで生きているわけではなく、自分のブランドで生きている。自分がいなくなれば臨床は次の人の色に染まる。贅沢な悩みと言えばそうかもしれないが、自分はそういう意味で自由だ。

大学にいると型にはまった生き方が王道だと皆考えがちだが、必ずしもそうではないこと、色々な生き方があることを若い人には知ってほしい。何にやりがいを見出し、何のために臨床医をやるのか。一般病院にいても、世界に影響をもたらす仕事はできる。今日のつぶやき。@ORD

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