サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

魂のあるべき場所

4月、5月はあまりに外の仕事が忙しく、きつい手術も続いていたので新体制の整備など全く手つかずであったが、今月から少しずつ変えていこうと思っている。今週は麻酔科学会で手術制限がかかっているので、膨大な事務作業に集中していたが、合間を縫って殺風景な部長室を少しずつ癒やし空間へ改造し始めた。

最近古い友人に会って、20年という時間経過を感じつつ、
いろいろ昔を振り返ることが多かったので今日のつぶやき。

私は自分の人生は短いとずっと思ってきたので、
生涯でやるべきことについて子供のころからよく考えてきた。
誕生日が近づくと、おめでたいと思うことは最近はあまりなくなってきて
むしろ残り何年あるのかを考えることの方が多くなった。
平均寿命でいえばまだ40年あるのかもしれないが、果たしてどうだろうか。

私が専門とするのはがんの治療であるので、人生というワードには少し敏感だ。
こうした場で発する情報が、自分の知らない誰かの人生に大きな影響を与えてしまう可能性を考えると
言葉を選ばなくてはならないというジレンマはあるが、私の人生論について少し。

2年前からいくつか本を書いてきたが、先日出した一般向けの本はもともと膵癌の話を書く予定であった。
出版社から依頼されていたことの一つは、病気の解説とともに、スピリチュアルな部分にも触れて欲しいということであった。膵癌はまだまだ難しい病気。自分が手術して治癒した人も沢山いるが、最終的にがんで失った人の方が多い。

心のケアに関しては確かに自分の臨床の本質に近いので、それもありかと一瞬思ったが、少し考えてないなと思った部分ではある。がん患者の気持ちはがん患者でなくては分からないし、我々にとっては日常でも、その人にとっては人生。人生の考え方や、大切にしているものは人それぞれであって、こうでなくてはいけない、こう考えるべきだと画一的に押し付けるものではない。治療に関しても同じことが言える。ガイドラインで推奨されていなくたって、その人にとって後悔しない方法が一番よい。専門科としての立場から助言し、その手伝いができればと私は思うし、日本国内のすべての施設に断られても、私のところでは手術ができる患者さんもいる。その人やその家族の人生を背負って命懸けで手術をする覚悟がなくては、そこまではできない。

1冊目の本の時は「諦めてはいけない」がテーマであったので敢えて最後に章を設けたが、一般向けの本は売ろうと思って進藤教の本を書いているわけではないので、膵癌の時ははちょっと違うかなと思った。だから押し付けではなく、患者さん達が知りたい情報に応える形の本が出来上がった。

さて、私自身は決して聖人君子などではなく、自分も人間なので、自分自身の人生もある。
管理業務が増えて部下の人生まで見渡してどうするかを考えた時、医療業界にあてはまると常々思うのは、自己犠牲が当たり前になっていないか?という点である。私は他業種の人たちと交流する機会も多いが、医療業界の特殊性を理解してもらうのに時に苦労する。外の人から見れば、我々の世界は異質だ。
やりがいの搾取ではないかともよく言われる。

ただ、実際のところ単純にやりがいだけでこの仕事をやっているわけでないというのも事実である。
どこで自分の存在を生かし、命を燃やすのか。
時や人やモノを大切にして、何のために生きるのか。

生きる意味というのは人それぞれだが
自分の魂があるべき場所にあるということがおそらく最も幸せなのだと思うし、
欲や快楽だけを求めて生きるよりも人生の最期の瞬間に自分が後悔しないための秘訣だと自分では考えている。

無責任な言葉で本を書くことはできなかったが、自分がこういう世界に生きていて強く思うのは
心が救われるということは
人生の要所で誰に出会うかということ。

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