サイトアイコン Junichi Shindoh, MD, PhD

選択と信念

管理当直ということで当直が増えてしまったので今日は当直している。
ゆっくり論文を書いたりしたいところだが
海外の仕事があまりに負担で心が晴れやかになるということが全くない。

今月は2年とか、20年とか
様々なスパンを経ての過去と現在を比べる機会が多かったので
講演スライドを作りながら
感慨深く思うところがあった。

自分が蒔いた種が
長い時を経てどうなったのか
答え合わせをしてみたときに
それをどう思うか

思っていた結果が得られなかったとき
人はどう思うか。

自分の選択が間違っていたのか
過程が間違っていたのか
環境が悪かったのか
時代やめぐり合わせにずれがあったのか

未来の結果をもし過去の自分に伝えることができたとして
自分は違う行動をとるだろうか
未来は違うものになるだろうか
そういうことは私もよく考える。

おそらく、人の選択というものは
そんなに単純ではない
選択には信念があり
結果は単純に確率の積み重ねであって
バタフライエフェクトで書いたように予想はできない
多分、同じ道を選ぶだろうなとは自分でも思う。

さて、今目の前には2本の道があって、どちらを選ぶのか
そういう時の自分の選択は早い。
結果がどうあれ、自分の直感は正しい
そう思っている。
直感という言葉でごまかしているだけなのかもしれないが
常に心が躍る方を選ぶことにしている。

後悔とは本質ではなく、
心を守るための言い訳であって
時間を巻き戻すことは不可能だから
今を生きる方法を考える方がよほど生産的だ。

横軸に時間を取って、縦軸に気分の上下を取った場合
現在を起点として未来に感じる幸せの総量は
一定時間が経過したときの曲線下面積になると仮定する。
単純なモデルとしてはおそらく正しい。

後悔が顔を出してきて心が苦しくなることはあろうとも
気分の曲線が低迷したままだと時間で積分したときの曲線下面積は小さくなってしまうので
人生の時間をその分不幸に過ごしたことになる。
時間は不可逆であるから、人生をその分損したことになる。
これはDie With Zeroという考え方に近いかもしれない。

人に助言を求められたときに
後悔するなといっても人は後悔する。
しかし、それぞれの選択には信念があり
その選択は正しい。
私はそう思うし、そのように言う。

その選択が誤りであったとしても、
誤りに気付くことができたのならば、軌道修正できる。
学びがあったと捉えることもできる。
だから正しい。

人生における選択に正解などない。


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