臨床と研究

医師という仕事に求められる知識や技術の大半は、実際に臨床医として現場に出てから学び・身に着けるものである。どのような分野で医師としての仕事を続けるにせよ、我々には永続的な学びが求められるが、その「学び」をもたらすものは、広い意味での「研究」である。私は一般病院に籍を置いてはいるが、臨床家であるとともに医学者である。かっこよく言えば”academic surgeon”というカテゴリーに入る。

「研究」と聞くと一般の人は、人体実験だとか、自分で何かテストをされているのではないかとか、そういうネガティブなイメージを抱くかもしれない。病気を治したいと思って病院に来る人にとってのニーズは、適切な医療を受けることであり、誰でも完成された、確立された治療を受けたいと思う。しかし、医学は常に発展途上にある。同じ病気でも手術をしなくても治る日がくるかもしれない。明日の医学から見たら、今日は昔の医学である。我々は常によりよい医療を追究しているが、我々の臨床とは「その瞬間」におけるベストにすぎない。

臨床と研究は表裏一体であって、そこは切り離すことができない。臨床の場で生まれた疑問や課題を解決するために、研究を着想・実行し、得られた結果を臨床に還元する。医療はそのサイクルで成り立っている。臨床はArtであり、研究はScienceである。ArtのないScience(=病気を見ない科学)は医療には役立たないし、Science(根拠)のないArt(臨床)は罪である。

「研究」と言っても、小さいものも大きなものもある。例えばなかなかうまく快方に向かわない患者さんをどうすれば元気にすることができるか。自分の過去の経験と照らし合わせ、比較しながらヒントを探す作業。あの時こうすればよかった。ああすればもっと早く回復が見込めたかもしれない。そうした繰り返しの内省も、自分の頭の中での「研究」の1つである。臨床技術を磨いたり、知識や経験を積むという作業は、このような臨床と研究のサイクルの1つに他ならない。一方で、自分の施設、国、世界をベースに同じような疾患の患者さんのデータを多数集積し、どのような条件ではAという治療がよいのか。統計解析を行いながらその時点でベストと考えられるアプローチを探していく作業。いわゆる「臨床研究」もまた重要である。我々大病院で働く医師の義務は、決まった医療を一定のクオリティで提供するだけではなく、多くの患者さんを治療し、多くの経験を積んでいる分、その成果を世の中に発信・還元し、明日の医療をつくっていくことにある。そういう若い医者を沢山育てていくことが、自分の責務だと思いながら、今日も夜中まで若いスタッフのデータを再解析・再チェックし、論文を添削し続ける日々。そこで生まれる新しい知見が、我々の臨床のクオリティを支えている。

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