幕内先生は一生懸命やれという意味でよくこういう言葉を使われた。
学術論文を書く場合は、普通は指導してくれる上級医がいて、そこで何度もやりとりをして、何か月もかかって、仕上がったところで最終的に教授の目を通す。というのが普通のやり方だと思うが、私の場合はどうしたわけか学生時代に書いた一番最初の論文も、研修医時代に書いた解剖の論文も、幕内先生の在任中は「直接俺のところにもってこい」と言われて教授に直々に指導してもらっていた。
当然のことながら生半可な知識で中途半端なレベルの仕上がりになるわけだが、次の日にはびっしりとコメントや修正が書かれた原稿を返された。
身分が学生であろうと、研修医であろうと、医局員と同様のレベルを要求されたし、甘えを見せると容赦なかった。東大の臨床実習ではカンファランスで学生が病歴をプレゼンするが、皆「学生さん」と呼ばれる中、私だけは呼び捨てで、画像も全部、エコーも自分でやってプレゼンせよと言われ(カンファランスは英語)、指導も容赦なかった。それに一生懸命答えようとやってきたことが今につながっていると思う。
正直、そういう毎日が楽しかったし、20歳そこそこの小僧が喰らいついてくるところが多分教える側も面白かったのではなかろうかと今では思う。
文字通り「夜を昼に変えて」やってきたことが自分のもつアドバンテージとなっている。
それをやれとは下には言わないが、私が指導している若手も皆一生懸命やってくる。頑張った分、成功体験を重ねてほしいので、私も結局、夜を昼に変えてそれを見ている。自分にとって夜が夜になることはまだなさそうだ。
コロナのせいで査読も遅かったり、まともにされなかったりで、論文発表ペースも今年は遅くなっているが、年間10本くらいは維持したいところである。赴任から7年が経過し、自分がcorresponding authorとして直々に指導した論文はもう70本を超えた。今年もまだ重要な臨床の新知見をもう何本か発表する予定である。