1500例の視座

手術を始めた頃の10例と50例。50例と100例。
100例と200例は経験値として大きく違うかもしれないが、
そこから先はそこまで技術に差があるわけではない。
ハイボリュームセンターで受けられる医療のクオリティにそこまで差がないというのはそういう意味である。

駆け出しの頃の外科医というのは皆、執刀経験数にこだわる。
それがダイレクトに自分の技術となり、経験となり、自分が作る医療の基礎となるからだ。
症例数が少なくても1例1例を大切にすることが大事とレジデントには話すが、
アクシデントにも左右されぬ安全な手術ができるようになるまでには一定の執刀件数がやはり重要である。

しかし、自分は300例経験があります、400例経験がありますということは全く自慢にはならない。それは手術の執刀件数と手術のクオリティが線形性を持っていないからだ。
200例から先にある世界というのは皆が想像するものとは全く違う世界である。

500例、1000例、1500例と執刀症例数を重ねて見えてくる景色というのは澄んだ世界ではなく、むしろ混沌とした世界である。
nが大きくなれば、様々な事象に遭遇する。
手術はますます怖くなる。
症例数が多くなればなるほど、手術が正確になるというわけではなく、
得られるものは、数字では語れない「感覚」である。

手術が「できる」「できない」の基準が変わってくる。
どこまで攻めてもよいのか。
どこから先は立ち止まるべきなのか。
どのような手順を踏むべきか。
リスクを回避し、
患者さんにとって最大限の利益をもたらしうる限界点が分かってくる。
それを言語化し、理論として伝えるのが自分の役目である。

悟りを開くまでに無駄に長い経験を積むことが正しいとは思わない。
症例数を重ねることが凄いのではなく、
それをきちんと後進に伝えることができるかどうか。
自分の意志を引き継ぐ人を育てられるかどうか。
それが外科医の真価を決めるのではないかと思う。

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