今年は3年ぶりに現地での海外講演が入っているので、スライドを作らねばと思いながらも結局2週間前になってしまい、昨日からやっている。肝臓外科の未来をどう組み立てていくかという講演で昔を振り返ってみると、自分も昔を振り返るような歳になったのかと今更ながら気づく。未来を考えた時、私は人を育てるということを大切にしたいと思うので、今日は若い外科医向けのお話。
外科医は医者であり、職人であり、学者であるから、誰もが多くの経験を重ねて早く一人前になりたいと思うのは当然である。しかし、日本にいようと世界にいようと、外科医の人生に王道や近道は存在しない。どのような環境にあろうと、それを生かすも殺すも自分次第である。有名な病院、有名な医師の下で働いたからと言ってその人のようにはなれない。それぞれの到達点は自分の責任である。
海外で働いてみて感じるのは、日本人は貪欲さが足りないというところだ。この高度な社会主義国にあっては、程よくやっている方が損はしないし、頑張りすぎなくても程よい恩恵にあずかることはできる。そういう非合理的で生産性の低いところが日本を衰退に追いやっている一因である。多くの日本人は国際的な競争にもまれた経験がないから、正しい競争の仕方を知らないし、コミュニケーションの仕方を知らない。国際舞台というのは日本国内以上に人と人とのつながりや成果が重要視されるから、そういう点で日本人は弱い。頑張れば報われる、誰かが見ていてくれる、評価してくれる、肩書があるからチヤホヤされる。そんな可能性ははっきり言って0である。だから確固たる説得力を持った主張と、実力で圧倒する他に世界を取る闘い方はないと思っている。
国内に目を向けた場合も、海外ほどではないが同じような考え方が成り立つ。結局は人に認めてもらうこと。それが成長のチャンスを生み出す。大学に残ることが必ずしも正しいわけでもないし、医局に属さずに腕一本で生きていくことがカッコいいわけでもない。要は何を目的として、自分はどうなりたいかということ、そしてそのためにいつ、どこで、何をすべきかを常に考えておくべきだということだ。
かく言う私も発展途上であるから偉そうなことは言えないが、私は人一倍遠回りしながらも、良き師や上に恵まれ、機会を生かしてきたから今があると思っている。大切なことは、自分にとってプラスになる師を見つけ、良い意味で踏み台にすることだと下にはよく言う。自分は踏み台としては最高だと思っているのだが(笑)、まだそれを踏み切り板として高跳びした人間は1人くらいしかいないので、そこが今後の検討課題かと思う。
写真は16年前の自分(卒後4年目)である。私は学生時代からフライングしていたから当然と言えば当然だが、卒後10年を超えた自分の直属の部下たちよりも、はるかに知識はあったし手術も上手かった。そういう面白い部下が沢山育ってほしい。臨床は一流にしたから、次は教育を一流にしなくてはいけない。青は藍よりも青くならなければ意味がないのだ。