1.がんと向き合う
 「がん」は私たちの命を脅かす可能性がある存在です。私たちががんを恐れるのは、それが自身の命に直結する可能性があるためであり、がんを知り、実際にがんを治療している我々医師でも、自分ががんと診断されたら、それを受け入れるまでには時間を要するかもしれません。がんと診断されると様々な不安が湧き上がってくると思います。今の自分の状態はどうなのか? 進行度は? 治療選択肢は? 治る?治らない? 残された時間は? 仕事をどうする? 家族をどうする? 金銭的なやりくりをどうする……。漠然とした不安が次々に出てくると思います。
 がんという病と向き合うためには、まず情報を集めること、行動を起こすことが必要となります。しかしそこには時間的な制約もあります。がんと診断されて平気な人などいません。ただでさえストレスと不安に苛まれた状況下にあって、どのように情報を収集し、主治医となる医師と出会い、何をゴールとして治療を行っていくか。そこには様々な考え方や選択肢が存在しています。
 本章ではまず、患者さんの視点からみた「がん」という病の見え方を踏まえ、それをまずどのようにとらえ、どのように情報を集めるべきか。得られた情報をどのように選別し、どのように病と向き合っていくべきか。少し考えてみたいと思います。

2.がん医療の正解と不正解
 昨今、インターネット上にはがんに関するさまざまな情報があふれています。我々がん専門医から見て、ネット上の情報は残念ながら不正確なものが多く、科学的な根拠のないものも多数あります。最近は闘病ブログを運営されている方も多く、私の患者さんの中にもそうしたブログから情報を得てきて、「こんな治療はどうですか?」「この考え方は正しいですか?」などと質問を受けることが多くなってきました。
 私がこれまで自分の患者さんに一貫して言ってきたことの一つに「がんの医療に正解・不正解はない」というのがあります。例えば、よく目にするこういった言葉があります。

「標準治療は最高の治療である」
この表現はある意味正しく、ある意味間違ってもいます。

「がん医療が人を殺す」
だいぶ過激な言い方ですが、これも100%間違いというわけではありません。

 メディア露出をされる方々や出版社は、センセーショナルな文言で注目を集めたがる傾向があります。しかし残念に思うのは、その発言を人々がどのように受け止めるか、またそれが誰かの人生を変えてしまう可能性があるのではないかというところにまで意識が及んでいるとはとても思えないという点です。
 がんの患者さんの気持ちは実際にがんになった方でなければ分かりません。患者さんの立場に立ってみれば自分の治療にプラスになることは何でも試してみたいと考えるのが自然だと思います。がんが消える食事など実際にはありませんし、がん患者が実践すべき生活習慣も特にありませんが、それを「正しい」、「正しくない」という視点で無下に否定すべきものでもないと私は考えています。効果があるかどうかは別として、間接的であるにせよ、患者さんご自身の身体のコンディションの調整に役立ったり、生活習慣の改善から体調がよくなって治療意欲につながったり、プラスに働く可能性はあるからです。
 一方、「医師」という肩書で発せられる情報がすべて正しいかというとそういうわけではありません。コロナが始まった時期もそうであったように「自称」専門家や「自称」名医は沢山存在します。怪しげな自費診療を行っているクリニック、偏った考え方を発信し続ける医療系ブロガーも残念ながら存在しています。傍から見ればそれがおかしいということは素人目にもわかりますが、自身ががんになってしまったら正しい判断ができなくなってしまうのも人間です。ですから自分や自分の身近な人ががんになってしまった時に備えて、「がん」という病気について基礎的な理解をしておくこと、情報の真贋を判断する能力(リテラシー)を磨いておくことは大切です。
 私の経験上、企業の経営者や芸能人、政治の世界の方々など、交友関係が広くいろいろな情報にアクセスできる人ほど、あやしい情報をつかまされるリスクはむしろ高いと感じます。社会的地位の高い方の医療に対するリテラシーが高いかというと、全くそんなことはありません。ですからがんと向き合う上で重要なのはまず信頼できる専門家を見つけることです。それが最大の近道だと思います。かかりつけの先生でもよいし、知り合いの医師でもよいし、がんを見つけてくれた初診の先生でもよいし、まずはきちんと「臨床」を行っている「医師」に相談しましょう。必要に応じてしかるべき専門家へ紹介してくれます。がんと診断された時にまず誰に出会うか、その入り口がどこにあるかでその後の運命は大きく変わってきます。

3.なぜ「がん」は怖いのか?
 我々ががんを恐れるのは、先に触れたようにその先に自分の「死」を感じるためです。「がん」とは放置すればいずれ命を奪う性質をもった疾患であるから「悪性」腫瘍であって、逆にそうした性質をもった腫瘍のことを「がん」と称します。ですから「がんで人が死ぬことはない」という考え方は誤りです。がんを自然経過で見た場合、いずれ進行し、徐々に命を削っていきます。
 有名人ががんでお亡くなりになると、「壮絶な闘病」「壮絶な最期」などというニュースの見出しがつきます。そういう印象操作をされるので我々は余計にがんを恐れます。しかしこれは日常的にがん患者の診療をしている我々からすると非常に違和感のある表現です。たとえ完治が難しい病状の方でも、できるだけ長く、元気に日常生活を送ることができるよう治療介入を行い、不快な症状や苦痛をできるだけ感じることがないようにサポートするのが我々の役割であり、まともな医療を受けている人が「壮絶な状態」に至ることは通常ありません。がんを患っていても病院に通いながら普通に仕事をして、普通に食事をして、普通に生活をしている患者さんは沢山います。
 一方、根拠のない民間療法を受けてがんが手に負えない状態にまで進行してしまったり、専門家の介入がないままいい加減な治療を行われてしまったりすることで治療のタイミングを失い、救えるはずの命が救えないということはよく経験します。適切な治療介入がなければ、それこそ壮絶な状態になってしまうことはあり得ます。それもその人の運命と言ってしまえば簡単ですが、この世の中にうまい話はありません。先に述べたように、がんの医療は入り口を間違えてしまうと取り返しのつかないことになるリスクが存在しています。ですから我々は最も効果が高いと予測され、身体への負担も許容できると考えられる治療法を、個々の患者さんごとに検討します。医療は多かれ少なかれ人体に対して侵襲を与える行為であり、予想されるリスクとベネフィットを鑑みて行われるものです。人はどうしてもラクに最大限の効果を求めようとしますが、医学というのはみなさんが思っているほど完成した学問ではありません。患者さん自身が情報を集めて希望した治療法が本当はベストではないかもしれない。医療は確率論の世界です。順序を間違えてしまった場合、次の治療は不利な条件から始まります。テレビゲームのようにリセットボタンはありません。一つ一つの選択がその後の運命を大きく変え得る。そういう意味でがんは怖い病気と言えるかもしれません。

4.「標準治療」とは何か?
 ここで本書における私の立ち位置を明らかにしたいと思います。私はここで「標準治療こそ最高の医療」と論じるつもりもありませんし、科学的根拠のない民間治療を行っている方々を否定するつもりもありません。紙面やインターネット上で繰り広げられる「正しい」、「間違っている」という議論は言葉尻をとらえたただの言葉遊びであり、不毛な議論です。この本には自分の知識と経験を踏まえ、自分の家族であればこのように考えたいという考え方を記します。一外科医の意見であることを前提に、セカンドオピニオンだと思って読み進めていただければ幸いです。
 皆さんがよく耳にする「標準治療」とは世界中の研究者が日々検討を重ね、科学的に効果があると実証された治療法、あるいはガイドラインなどで規定された、「現時点で最善かつ最良」と考えられる治療のことを指します。「標準」といっても「普通の治療」という意味ではありません。統計学的にみて最大限の効果と利益(治癒・長期生存)をもたらす「可能性が高い」と予想される治療法のことを指します。わかりやすく言いかえれば、がんの治癒や長期生存を目指すためには、標準治療から入るのが確率論的に最も確実であるということになります。がんの治療では、現在推奨される治療、保険診療が可能な治療が決まっています。日本はこの「標準治療」を誰もが公平に、安価に受けることができる数少ない国です。我々は、効果が実証されているこれらの治療法を個々の患者さんの状況を踏まえながら適切に組み合わせ、実際の治療に用いています。
 一方、最大限の予後延長効果を期待できるからと言って標準治療を選択することが100%正しいかというと、必ずしもそういうわけではありません。標準治療はがん患者さんを「集団」で見た場合に一定の治療効果が得られる可能性を担保しますが、「個人」のレベルでみた場合、どの患者さんでも同じように効果が得られるかどうかは別の問題であるからです。また治療ができるかどうかは患者さんの身体の状況に左右されます。これは特に進行がんの患者さんに当てはまります。
 例えば全身化学療法(抗がん剤治療)を考えてみましょう。がんが進行してしまい、手術などの根治的な治療法の対象とならないケースでは、抗がん剤でがんの成長を抑制し、生存期間を延ばすことが治療の第一目標となります。しかし抗がん剤は永遠に効果を発揮するわけではありませんので、一次治療の効果がなくなってきたら薬を変えて二次治療、それが効かなくなってきたら三次治療、四次治療と続きます。イメージとしては図1のようになります。

図1.抗がん剤による予後延長効果

 抗がん剤治療はがんを一時的に縮小させることによって、致死的な腫瘍量に達するまでの時間を稼ぎ、予後を延ばすことを企図する治療法です。一次治療が効かなくなってきたら二次治療、三次治療と進むことによって、さらなる予後の延長を企図します。ただし、一般的に抗がん剤治療は、二次治療、三次治療と進んでいくにしたがってがんに対する効果は減弱し、使用する薬剤も効果より副作用の方が目立つ薬が登場してきます。どの抗がん剤をどのような順序で使用すべきかについてはガイドラインで推奨が決められていますが、これは単純に「予後」を最大限延長することを目標とした場合での推奨です。薬も人によって合う・合わないがありますし、副作用で日常生活に支障をきたしてしまう人も中にはいます。抗がん剤治療とは、つらさよりも効果が上回る場合にのみ選択すべき治療法であって、無理して治療を続けることで逆に命を縮める原因になってしまう可能性もあります。
 進行がんになればなるほど根治を目指した治療は難しくなってきますので、合併症のリスクや副作用を無視して効果の高い治療法を次々と選択すればよいというわけではなく、身体の状況を見ながら症状をうまくコントロールし、がんと共存しながらも元気でいられる時間をなるべくのばしていくことが目標になります。そのための治療選択は必ずしもガイドラインの記載が正しいわけではありません。症状緩和のための手術を行う場合もありますし、がんの成長速度や振る舞いが穏やかであれば一度治療を止めて無治療で経過観察することもあります。

5.がん医療が人を殺す?
 医療というものは病気をコントロールする目的で行われるものですが、がんにだけ効果を発揮し、身体に負担のない治療というものは残念ながら存在しません。例えば、手術は多くのがんにおいて「治癒」を目指す上で最も確実な方法ですが、侵襲(体への負担)の大きな治療法であり、適応を間違えてしまうと逆にがんを広げてしまったり、合併症で寿命を縮めてしまったりということもあり得ます。抗がん剤についても前項で述べたように基本的に「毒」ですから、身体に対する負担が治療効果を上回ってしまうと治療の意味がなくなってしまいます。がんの医療は、単純にがんの根絶や制御を目指した治療(=攻撃)の部分だけ見ていればよいのではなく、身体の状況を維持すること(=防御)も考えなくてはいけません。身体が弱ってしまっていては治療はできませんし、栄養状態の悪化や免疫状態の悪化は逆に寿命を縮めます。どのような治療法でもリスクとベネフィットのバランスをとることが常に大切になります。
 「がん医療が人を殺す」などといった週刊誌やネットの記事は、医療も医者の言いなりになっていればよいわけではないというアンチテーゼを示し、常識を疑ってみる重要性を説いた点で評価できるかもしれません。しかし、多くの読者はこうした記事の内容をうわべだけで捉えてしまうでしょう。がんの治療を目的とした行為が逆に命を縮める可能性もあるというのは先に述べた治療のバランスの考え方に問題がある場合のことを指しますが、一般の方にそうした医療の背景や実際など分かりません。実際の医療現場の考え方や課題をわかりやすく解説するような記事であればよいですが、PVさえ稼げればよいという無責任な発信の仕方は、それに影響を受けた誰かの人生を悪い方向に変えてしまう可能性を無視している点で極めて悪質だと私は思います。
 我々医療者にとって治療は手段であって目的ではありません。手術にせよ、抗がん剤治療にせよ、自分がよかれと思って行う行為が一つ間違えば患者さんを殺してしまうかもしれないわけです。そこまでのリスクを背負い、人の人生に責任を持つ。それが我々の仕事です。ですからメディアの表現を真に受けて、あるいはそれに影響された知り合いの話を聞いて、手術は受けない方がよいとか、抗がん剤治療は意味がないとか、素人考えで判断するのはとても危険です。がんの治療は信頼できる専門医の元できちんと説明を受け、検討していくべきものです。

6.がんとは「闘う」ものですか?
 がんとの向き合い方というのは、その人の人生観に大きく影響されます。治るかもしれないし、治らないかもしれない。治癒が困難であると診断された場合でも、がんの種類や条件によって残された時間が長い場合もありますし、短い場合もあります。医療をどのように利用し、がんと向き合いながら今後の自分の人生を生きていくのか。それは患者さん自身が選択するものであり、我々医療者が決めるものでも強制するものでもありません。
 がん医療の歴史というものは、がんを患い、苦しむ患者さんを前に、「治してあげたい」、「元気でいられる時間をなんとか伸ばしてあげたい」という医療者の思いの上に刻まれてきました。手術に始まり、放射線治療、抗がん剤治療など、様々な治療法の開発が進み、より高い効果を持ち、より身体にやさしく、より多くの選択肢をもった治療がさまざまながんで利用できるようになりました。
 がんという病は古くは「苦しみと闘う」というイメージだったかもしれません。緩和医療や抗がん剤の副作用マネージメントという考え方が希薄だった時代は、がんは付随する症状や治療の副作用で苦しみながら命を落とすというイメージだったと思いますし、現在でもそのようなイメージを持たれている方がいらっしゃいます。しかし、後の章でも触れますが、例えば大腸癌の肝転移のように、ステージIVの進行がんでも集学的な治療で治癒せしめることが考えられるような時代となってきています。ですから治らないと決めつけて治療を諦めるべきではないケースは多く存在しており、むしろ治癒を目指してがんと「闘える」時代になりつつあると思います。
 もちろん現在の医療では治せない状況というのも多数存在します。患者さんも高齢化していますので80歳、90歳で生きるか死ぬかの大手術を行うよりは、不快な症状の除去をメインに自然経過で見るほうが結果的には残りの人生の時間を大切に過ごせる可能性が高いと判断する場合もあります。しかし多くの患者さんにとって「生きたい」と思うのは当然ですし、実際の臨床では厳しい状況でも何か方法はないかと治療を求めて病院にこられる方が圧倒的に多いのも事実です。生きるために何らかの治療を考えたいという患者さんの願いを我々は否定しません。その人にとって何がメリットになるかを第一に考え、場合によっては自分達もリスクを取り、共に「闘う」ことを我々も選びます。
 以前ある雑誌の企画で、進行がんとの向き合い方をどう考えるかというという対談企画を受けたことがありました。読者のコメント欄を読んでいると賛否両論色々な意見があって面白いのですが、ある回で「がんとは闘うものではない。癒やすものだ」という意見がありました。私はこれは違うと考えています。我々はがん患者さんの治療の「手助け」をしているに過ぎず、我々が闘うことを強制し、主導しているわけではありません。がんの医療における一人称は「患者」であって、医療者ではないのです。ですから自分が「治す」とか「癒やす」という言葉を私たちは通常使いません。がんという病と向き合い、生きるために闘いたいという患者さんの気持ちに応えるのが我々の役目であり、患者さんの人生の支えとなるために知識と技術を磨く。ただそれだけです。
 先に述べたように、進行がんでも諦めるべきではない状況は実際に存在しています。現在は様々な治療手段があり、症状を和らげる方法があり、精神面でのサポートも含めて我々にできることは沢山あります。ですからがんはかつてのように「苦痛と闘う」ものではなく、「生きるために闘ってもよい」もの、「克服するために闘うべき」ものに変わりつつあると思います。我々が日々向き合うのは、エビデンスでもビッグデータでもなく、がんと診断された患者さん一人ひとりです。がんは難しい病気です。治らないかもしれない。しかし、医療者の手を借りて自分の人生を「よく生きる」ことはできます。適切に情報を吟味し、ご自身の身体と相談しながら治療をすすめることで、新たに生きるチャンスが訪れることもあります。情報の大海原のなかで病気に対する漠然としたとらえ方や耳触りの良い気休めの言葉だけを求めるのではなく、ご自身が進むべき道を照らす灯を、本書で見つけていただければ幸甚です。

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