Serendipity

Serendipityという言葉はもともと造語であるが、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること」のような意味で用いられる。我々の業界にあてはめると、どうしても「医学の発見」みたいなところのイメージが私には強い。

医師のキャリアパスにおいて、学位(博士号)の取得というのは一つ大切な部分であると考えられている。臨床医学の基礎となっている基礎医学の知識と素養。そうしたものを身に着けることは内科であればまず必須であるし、それが病態の理解、次の治療の開発、創薬などにつながる。一方で外科医に基礎医学が必要かどうかは、意見の分かれるところである。大学に籍をおいて、多くのスタッフや大学院生を有し、切除標本などを用いて病気や病態の解明の研究を進めるという環境があるならばよいが、一人の外科医が真面目に臨床をやりながら基礎医学の研究も行うというのは無理がある。

基礎医学に触れることは医学者としての見識を広げるという意味ではよいと思うが、高々4年間で素人が何をできるかといえば大したことは正直できないし、基礎医学を生業とするプロに対しても失礼だと思っていたので、私は学位をとるためだけの基礎医学には一切首を突っ込んで来なかった。だから私の業績のすべては学位も含めて解剖学を含めた臨床研究であるし、手術の腕を磨き、臨床経験を通じて病気とは何かを理解し、それをどう克服するのか、どう戦うのか、問題提起をして、ディスカッションをして、次を考えていく、そういう20年を歩んできた。

医学を大きく変えるような発見というものは臨床医にはまずできない。しかし医学者と医者は違うので同じ発想ではいけないし、そもそも生きている世界が違う。我々臨床医の目指すところはhigh impact factor journalに論文を載せることではなく、目の前の医療をどう変えていくのかという点だ。世界を変える大きな発見でも実臨床に応用されるまでに何年も何十年もかかる基礎医学とは違って、臨床医はもっとターンオーバーの短い世界を生きている。

外科医という職業は人の人生に深くかかわる職業である。そこで何ができるかを考えた時に、自分のところにきた患者さんを決められた方法で治療して返す。そうしたルーティンワークをこなすだけではちょっと寂しい。最近は医師の教育、患者の教育、世界の教育、それを一つのテーマとして考えている。

運とか運命とかいう言葉はここにもよく登場するので私のキーワードとなりつつあるが、これは偶然の一致とか、synchronisityとかいう概念とは違う。どちらかと言えばserendipityに近い。

「先生がやるとなんか偶然が必然に見えますね」

ということは昔からよく後輩に言われてきたが、タネ明かしをするならばそれだけ準備をしているということだ。
ルイ・パスツールの有名な言葉に、

le hasard ne favorise que les esprits préparés(チャンスは用意された心のみに宿る)

というものがある。幸運は備えのあるところに訪れるといった意味である。私の好きな言葉の一つだ。
チャンスをしっかりとつかみ取り、そこから大きく展開する。本物とは小手先の準備で得られるものではなく、準備があってこそ作り上げられるものだと思っている。お金に換えられない価値とは、そうしたところから生まれる。

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