科学論文を書く際、あるいは臨床経過の予測を行う際、我々は得てして「決定論」で物事を考えがちである。決定論とは、「ある状態の次の状態が確定した法則に従って一意的に決まる」という考え方、わかりやすく言えば、物事が「一定の法則」に従って時間経過で変化する場合、初めの状態が決まってしまえばその先の状態が全て分かるという考え方である。この考え方が正しければ、初めの状態の差がわずかであれば、最終的な状態の差もわずかになるということになる。
たとえば、肉眼的に治癒切除が可能な大腸癌肝転移が10個見つかったとする。技術的にすぐに取れるし、自分は手術が上手いから大丈夫と考える外科医Aが1週間後に手術を行った場合を①としよう。外科医Bは、「いやいや他にもあるかも知れないし」と、2カ月様子を見てから、結局数が増えなかったので予定通り10個切除することにした。これを②とする。結局切除した腫瘍は10個だったんだから①でも②でも予後は同じだろう思うかもしれない。しかし、これは条件付き確率の問題で、根治性の担保という意味では②の方が有利になる。①と②では、他に腫瘍がないという確率が違うためである。
さて、臨床医学の世界ではリスクモデルがよく登場する。「ノモグラム」というやつだ。例えば大腸癌肝転移なら腫瘍個数、腫瘍径、腫瘍マーカーの値… などいくつかの項目が何点に相当するかを出して行って、5年生存率、3年無再発生存率などを予測するというものだが、これは個々のリスクや予後を確率論で判断したり、治療方針の目安とするという点では有用であるものの、あくまでシンプルなモデルに基づく確率の話であって、そこから先にどのような治療を受けて、どのような経過を辿るか、そこからどのような外れ値が発生するか… 個々の症例の行末は予測できない。
実際の臨床で我々が見ているものは決定論の世界とは全く違う現実である。1500例の話の時だったか「混沌とした世界」という表現を使ったが、いつ、どこで、誰に出会い、どのような判断をして、何を行うか。その一つ一つは小さな差だとしても最終的なゴールは大きく異なる。自分自身に問いかけることは常にそういうことである。
自分の判断の少しの差が誰かの人生に取り返しのつかない大きな差を生む可能性がある。我々はそういう世界に生きている。
初期状態の軽微な差が時間経過によって指数関数的な増加を引きおこし、無視できないほどの大きな差を生むことを、専門用語では「初期値鋭敏性」という。
いわゆる「カオス理論」の根幹の一つをなすものである。自然現象というものはまさにこれである。
バタフライエフェクトとは、この初期値鋭敏性を寓意的に示しているものである。その語源はブラジルでの一羽の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすか?という有名な話から来ているのだが、これは読んで字のごとくの意味ではない。もしそういうことが成り立つのならば正確な計測さえできればカオス運動に従う気象の予測も正確にできるはずだが、初期の測定誤差を0にできない以上、カオス現象の長期的な予測は不可能(=わずかな測定の誤差が長期的に見ると全く異なる結果を予測してしまう)ということから来ている。
医療情報をよく勉強してくる患者さんたちの中には、先生の本にはこう書いてありますよね、こういうことですよねと、決定論的な考え方をされてしまう(いや、私に洗脳されているだけか?)方もいらっしゃるが、自然現象というのはこのように予測困難性を孕んでいるものであって、今見ているもの、見えているものが未来を完全に予測できるわけではないから、”Fate is Unpredictable”という当サイトの冒頭の言葉につながるわけである。
当初、希望を与える仕事をしたいと、Last Hopeという覚悟を掲げていたが、私は神様ではない(ラプラスの悪魔ではない)のでちょっと違うかなと思って現在のフレーズに変更した。私が大切にしているのは、そういう現実の中でどのように物事をとらえ、どのようにアンテナを張り巡らせていれば、遭難せずに済むか。カオスの中で遭難せずにゴールにたどり着くためにはどうすればよいか、そういう感覚である。今日も一人の患者さんの運命を変えるための手術。頑張ろう。